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それでも言葉で物語を紡ぐ理由

YouTubeやサブスクのサービスで気軽にエンタメを楽しめるようになった今、「活字や本の価値ってなんなんだろう」とよく疑問に思います。

活字を読むこと、それは動画を見るよりずっとコストがかかります。

それでも、私は、言葉が好きです。言葉ってすごく不思議で、私が「嬉しい」と言えば、私が感じている感情を他の人も理解できます。それが無形のものであっても、です。それはやはり他のメディアにない魅力だと思います。

小学生の頃から、授業中の説明がまったく頭に入らなかったのに、一人で教科書を読むとすっと理解できるということがよくありました。耳で聞くより、目で読む方がしっくりくる。そうやって私は、言葉の世界に救われてきたのだと思います。

また、AIがなんでも答えを出してくれるようになった今、物語の価値ってなんなんだろうとよく疑問に思います。

大学に通っていると、たくさんの課題がふってきますが、それをAIで解決している人は多いと思います。

ただ、AIの特徴はあくまで「集団」知であるということです。全体の傾向や状況を評価し抽象化して言葉にするのはAIの得意分野ですが、そこに「個人」の物語はありません。

例えば、AIに「日本人は何を考えているか」と聞くと、「安定を求める」や「和を乱さないことを重んじる」という答えが返ってきます。ただ、「私が何を考えているか」はAIは教えてくれません。私が何を感じて何に喜んで何に悲しんでいるのか。何を美味しいと思っていて誰を愛していているのか。そのように感情がゆれ動くことを、約250年前本居宣長は「あはれ」という言葉で表現しました。その感情はAIには掬い取れない感情です。

そんな昔から確実にあった「あはれ」な感情を伝えられるのが「物語」です。人が作り出す「物語」なのです。

そして、活字で語られる物語の価値はなんでしょうか。

言葉で語られる物語のすごいところは、その物語を自分に起こったことのように追体験できるところにあると思います。映画や演劇を鑑賞する時、基本的には神の視点でしか物語を捉えられません。しかし、言葉による物語は、主人公の経験が自分の経験になり、主人公の感情が自分の感情になります。つまり、言葉というのは心への最短距離なのです。

ここまで、活字で語られる物語の価値について理屈っぽく話してきましたが、結局私が言葉の価値を信じている理由は、好きっていう気持ちがあるからです。

言葉を読んで理解するという行為は、どんな手段よりも自分ごととして情報を吸収することです。コストがかかることは確かですが、その分心が動かされる経験ができます。

どんな時代であろうと、私は言葉が好きで、活字が好きで、物語が好きです。そして、私と同じように活字が好きな人、活字にロマンを感じる人はいるはずです。そんな誰かに届くように、物語っていいなって、言葉っていいなって思ってもらえるようにという祈りを込めて、文章を書いていきます。

ライター:りさ