人はいつ臆病になるのだろう。
私の人生で一番最初の記憶は、すれ違った女の子の手を掴んで「ともだちになろ」と言ったことだ。なぜその子だったのか、なぜ「ともだち」が欲しかったのかは覚えていない。でも結局幼稚園にいる間、その子はずっと私の親友だった。
今の私は、自分から人にアプローチをかけることが苦手だ。相手に話しかけられたらそのテンション感に合わせて相手と関わる、それが私のコミュニケーションスタイルだ。長い付き合いの友人をご飯に誘うのでさえ苦手だ。つまり、臆病なのだ。
いつからそこまで臆病になったのだろう。真っ直ぐさが時に鋭利な刃物になることを知った時か、世界にはたくさん人がいてみんなと仲良くなれるわけではないと気づいた時か、それともどれだけ深く関わっても永遠なんて存在しないと思い始めた時か。
あの頃の私みたいに、真っ直ぐ手を伸ばせたら別の世界が見えるのだろうか。
ただ、人と繋がる痛みを知って臆病になったけれど、人と繋がることでうまれる温かさも知ったのだ。そう考えると、臆病な自分も悪くない。
昔は真っ直ぐ手を伸ばすことが繋がりたいという気持ちの現れだった。でも今は臆病さが、人と繋がりたいという思いの証拠なのかもしれない。